top of page
  • kouzakicomm

ごみゼロおおいた推進活動報告

2009年3月21日

 

 私たちの生活の場である神崎は、海とともにある海辺の地区です。

神崎の海を見下ろす山麓に存在する、県下1~2の規模にランクされる前方後円墳・築山古墳(昭和11年国指定史跡)が物語るように、神崎の地は海士部族の拠点でした。


 1970年代、別府湾南岸の工業開発(大分新産業都市計画)の海面埋め立てで、大分県随一の日吉原海水浴場は工場とゴルフ場になりました。


 一方神崎地区民と佐賀関漁民は、広く大分市民の支援を受け、埋め立て反対運動を展開し10年を経て海を守り残しました。そして大分市民に日吉原海水浴場に代わる新しい海水浴場を提供しようと、20人余りの青年たちが話し合い、海水浴場づくりを始めました。1981年でした。


 その収益金は、地域づくりの活動や地域福祉活動の財源に充てられ、大いに役立てられました。


 昨年、大分県より「ごみゼロおおいた推進隊」の任命を受け、1年間環境問題に取り組んでまいりました。その報告会が2月28に県庁であり、活動の状況をパワーポイントで報告しました。

 海水浴場ご利用のみなさまにもぜひご覧いただきたくホームページに追加いたしました。

閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示

こうざき海岸物語

はじめに こうざき海水浴場は運営を始めて40年を超えましたが、大分県の海水浴場の中ではもっとも新しい海水浴場でしょう。 1960年代後半までは、西隣に大分県最大の日吉原海水浴場が、東方に大志生木海水浴場があり、その間に存在する神崎海岸は夏場に地元の子供たちが泳ぐだけの、それは静かな海岸でした。 1970年代に入ると、日吉原海岸が大分新産業都市計画で、大分県の手で埋め立てられ、県下最大の海水浴場が消

男が賄う夕食・映画会

私達は「男子厨房に入らず」を誇らしく宣言していた世代です。 しかし、後期高齢に達し、また近づき、一人で生きる覚悟が必要であることに薄々気づき始めました。 料理も洗濯も女房任せの毎日から、一人前の男になるために、先ず食べるものを自分たちで作ることに挑戦しようということになりました。 助成は出来栄えを見ていただくために、是非食事にいらしてください。 今は、月1回のペースで開いています。 場 所:みんな

bottom of page